照沼ファリーザ写真展「食欲と性欲」
只今絶賛開催中の写真展では、新作の展示も行っております。
「わたしの存在自体が、芸術なのです」という言葉がこんなにも説得力を持つ作品のパワー、そして過剰なまでに溢れるロマンティックな乙女心が沁みる写真展となっております。

※9月11日(土)照沼ファリーザ特別トークイベントに関してのお知らせです。
イベント開場時間は16:50を予定しております。
今イベントは先着順のご案内となります。予約制ではございませんので、会場外にお並び頂いた順にご案内となります。(イベントが始まってからのご入場はお断りさせて頂く場合がございますので、あらかじめご了承下さい。)
11日の通常営業はイベント設営の為、16時で終了となりますので、予めご了承下さい。
■9月11日(土)17時〜☆照沼ファリーザ特別トークイベント
展示は9月18日(土)まで。皆様のお越しをお待ちしております。
入場料1500円(1ドリンク付) ゲスト:AVライター:雨宮まみ
田亀源五郎個展「WORKS」にて開催致しました特別トークイベントの模様を少しだけお届け致します。■8月14日ゲスト:沢辺均&雨宮まみ
(以下、田亀→田、沢辺→沢、雨宮→雨)

◆田亀氏の漫画作品について
雨 田亀さんの描かれるストーリーは凄く良いですよね。中村うさぎさんがエロスは差別だという事をおっしゃっていて、差別があるからこそ興奮するって。
田 あ、でもよくわかります。私SMをやりたかったんだけれど、なぜだか髭が生え揃うまではSMはできないと思っていたの(笑)
雨 その頃読んでいた本の影響ですか?
田 その頃読んでいた本には髭なんて殆ど出てこなかった。私がデビューする頃まではゲイ雑誌って顎髭ご法度みたいなところありましたよね。口髭ぐらいで。だから顎髭をどかんと出したのって私が最初なんじゃないかな。私が出るまでは「熊」っていうキーワードも無かったかも。私が初めて「熊系」って主張した。(笑)デビューしたての頃に1年間書いていたイラストエッセイでいかに「熊」は素晴らしいかなど書いたり。本当にそれまでは皆無だったはずですよ。実際世の中にも髭はやしている人はあまりいなかったし。和風でいうとやはり短髪で、ビデオが出てくるようになってようやく口髭が多少。長谷川サダオさんが例外的に口髭をたまに描いていらした。あと、『ゲイ・エロティックアート3』に収録予定の竹内譲二さんの絵がわりとアメリカナイズされた絵だったので、顎髭とかちょっとあったぐらいで。私がそういうのを描き始めたのも日本のゲイ雑誌からではなくてもっぱらアメリカの雑誌からでした。ハードゲイみたいな文脈で見ていた。私が描き始めたら、今まで見たことはなかったけれども、これはイケるじゃない?みたいな人が出てきたらしくて、そこからわりと「熊」だの顎髭だのというのが広がりましたね。
田 面白いのは最近ボーイズラブでも似た現象が起こっていて、とあるBLのアンソロジーがあるのですが、私が日露戦争の話でサンタクロースみたいなおじいちゃんを出したら、当時はあまり無かったらしく、色んな人から「おじいちゃん受け」に目覚めたって(笑)
雨 すごく可愛いですよね。あのおじいちゃん…
田 結構人間って見て初めてわかる自分のセクシャリティーってあるんだな…と。
沢 それはそうですよ。無で思い出せないもん。「これどう?」っていわれて、「良い」とか「好き」とか言えるんだもんね。
田 世間的にはわりとセクシーな女の人はこういうものだとか、イケメンはこういうものだとか、基本的にそういうものだとおもっているひとがそこそこいて、そういう人で本当の根っこの所ではそういうものは好きではないんだけれど、でもこういうものだと刷り込まれているから欲情していたものが、いざ本命みたいなものが出てきてしまって、あ、こっちだったの?!って。
雨 なんでこんなにドキドキしちゃうんだろうって自分でもわからなくて。
田 おもしろかったのはG-menを創刊した頃にスタッフの中でジャニ系を好きな人がいて、その人はセックスの指向というよりもゲイ雑誌で何かをやりたいっていう感じでG-menでお仕事するようになったのだけれど、最初は自分はジャニ系好きだからこういう野郎系はちょっと…っていう感じだったんだけれど、半年経たないうちに野郎系好きになってましたね。今まではこれがまともっていうのが、意識的か無意識的かわからないのだけれど、その人の中ではあって、でもそれと自分の本質は違うっていうのを実際に写真とかモデルとか見ることによって自覚したっていう。

◆ゲイ・エロティックアートについて
沢 田亀さんの不思議な所は、自分でも描くわけだけれど、ゲイのエロ絵画に対する興味やリスペクトが強いじゃないですか。それはどういう所からきているんでしょうか。
田 元々物凄く好きなものに対してはわりとオタク気質で、色々調べちゃうのはあるんです。でもゲイエロに関しては30パーセントくらい使命感みたいなものがありますね。つまり私が本格的にゲイ雑誌に描くようになって、当然読者だった時代に色んな方の絵を見ているわけですが、その影響で自分も描くようになって、日本ですと過去に描かれたものを見れる機会が雑誌に載ったらそれでおしまいだったので、全く無かったのです。対して海外ではどうかと目を向けると、ヴィンテージの昔のゲイの写真とか画集が出ている。そんなに大きなマーケットでは無いのですがちゃんと出版されている。それの影響を受けて今の自分がいますという事を公言する人が、ゲイアートに限らず、コマーシャルアートの世界でもごく当たり前に発言している。そのような状況がとても良いなと思ったんです。対して日本だと顧みられないで、埋もれてしまっていくのは悲しいなと思っていた所で、とある方から私が好きだったイラストの原画をいくつかまとめて頂く機会を頂いたのですが、頂いた原画がコラージュされちゃっていたんですね。顔が気に食わないところは別の顔を切り抜いて貼って。そういう状態の原画が半分くらいで、それを見て、ああちょっとこれは悲しいなぁと思ったのと、あとやっぱり似たようなパターンで、そういうことを色々と調べていたらある方を紹介して頂けたんですけど、伺ってみると「(作品を)ついこの間処分しちゃったわ」っていうことだったり、また私の知り合いの人で、付き合っていた人に「そういういやらしいものはダメだ」と諭されて(作品を)処分しちゃったなんていう話もあって、そういう状況をなんとかしたいなっていう気持ちはあったんです。それでとりあえず、データベースのような形としてでも何とか残しておきたいなと思って、サイトにそういうページを作ったんです。それで、松沢さんだったかな?が、沢辺さんを紹介してくれて。
沢 僕が松沢さんと話していて、日本のゲイ雑誌の作品を、ちゃんと体系的に一冊にまとめたものを出したいよね、という話は何となくしていて、それをやるなら田亀さんしかいないよね、という話になって。
田 それで、最初は私の方から「こういう風にしたい!」という壮大なプランを抱えていったんですけど、そうしたら沢辺さんに「いや、それは無理だよ田亀さん」って言われて(笑)「出せるところから出していけば良いよ」っていう話になって。
沢 それで一巻ずつ出していって、四巻は、これは未定なんだけど、俺としては田亀源五郎全集にしたいなって考えていて。まあ、田亀さんもそうなのかもしれないけど、自分も、あらかじめ「アートですよ」って決まっていない分野、そういうものに魅かれるんだよね。今は下手したら(そういう分野の作品は)捨てられちゃうわけ。そういうところも良いんだし、しょうがないことだとも思うんだけど、百年経ったら状況が変わるわけだよね。そういうのに興味がある。
田 私なんかはどこかで、価値観をひっくり返したいっていうのはすごくあるんですね。
沢2巻を出した時に、村上隆さんと田亀さんでトークイベントを行ったのですが、その時に村上さんは、アートの根源の、アートを作る人の欲望の量が強くならないとアートにならないって言っていて、「ゲイアートの人たちの作品を見ると本当に欲望が強いと思うんですよね」って(笑)他の人と比べてとかではなく、その欲望をモノにしようっていうのが、強いよねって。で、実際の性生活はどうなんですか?(笑)
田 一時期はね、結構追求したんですよ、性生活を。でもね、絵で描いてるみたいにはいかないじゃない(笑)ロールプレイングみたいになっちゃうのはつまらないなって。
かといってセックスの為に日常生活を捨てられるかっていうとそういうのも私には躊躇われるんですね。
沢 だから誤解されないように今一度強調しておくと(笑)田亀さんの「欲望が強い」っていうのは、セックスに対してっていうよりも、そのことを絵や物語にするっていう欲望なんだよね。
田 確かにね、私も海外のアートを生業としている人たちの口からよくきく言葉というのが「パワフル」っていう言葉なんです。アート的な価値観で見た絵の善し悪しを「ビューティフル」とか「エレガント」とかではなく、「パワフル」であるかないかっていうことで形容する人が多いです。確かに私も他の作家さんの作品を見ていて、何か自分に迫ってくるものがあると「お金出してでも欲しい」とか思うし、そうじゃなくてもっとサラっとした感じだと、「良いけどお金出すほどじゃない」って、そういうのは自分の中にありますね。
◆お客様との質疑応答
Q.近年やおい系とゲイカルチャーのミクスチャーが起きているが、(作品に)「女性目線をとり入れてもいいな」と田亀先生が思った心境の変化について。
田 ミクスチャーっていうのは実は昔から起きているんですね。私がデビューしたころの「さぶ」に、当時の「june」の作家さんが名前を変えて描いていたり、「さぶ」で連載されていたものを、挿絵だけ女性向けに変えて出ていた「ロマンジュネ」というものもありました。ですからミクスチャーというのは皆さんが思っているほど最近起きたことではなく、もっと奥深いところからきているんですね。ですが、一つ変わったことがあるとすれば、当時の「ジュネ」がボーイズラブであったということは、それは同時に「耽美」「禁断の愛」だったんですね。私はその「禁断の愛」とセットになっている当時の「ジュネ」は嫌でした。「あなたたちが美化するのは構わないけれど、禁じられる筋合いはない」っていう(笑)ところがボーイズラブになって、いきなり軽くなったんですね。ただ今も色々なボーイズラブ漫画があって、少女マンガの男同士版みたいなものにはおよそ私の入る隙間はない、と思っちゃうんだけど、エロを前に押している感じのところは、お呼びがかかれば行きますよ、という感じで描いています。
Q.絵柄の変化について、これから漫画家としてどのように進化をしていくのか。
田 変化っていうのは結構自然なものなんですね。ただいつも理想にしている絵っていうのがあるんですけれども、それも変わっていきます。私の場合、初期は「勢い」のある線を描きたくて、それがある時期からもう少し形をしっかりと描いていく風に変わって、ただ『君よ知るや南の獄』を描いた後に、この線でやっていける究極のところまでは行ったかな、これ以上この形を続けても、硬直した様式美の様なものはあるかもしれないけれど、そこから何かが発展していくことはないだろうな、と感じて、自分の線を壊していく作業をしたんです。私が感じる限界っていうのはおそらく「漫画の線」の限界なんですね。そこで「漫画」から伝統的な「ペン画」の線、息遣いが伝わるような線にシフトしていったんです。それでもう一度自分の線に愛着が持てました。
※ご出演の皆さま、お越し頂きました皆さま、ありがとうございました。
イベントのほんの一部でしたがお楽しみ頂けたでしょうか。
会期中は圧倒的な熱量を持ちながらも、細部まで描きこまれた緻密な作品群が並び、パワフルな展覧会となりました。ヴァニラ画廊では展覧会に引き続き田亀源五郎の書籍を取り扱っておりますので、スタッフまでお申し付け下さい。
照沼ファリーザ展「食欲と性欲」
―ご自身で写真を撮られるようになったのはどのような経緯からでしょうか。
照 AV女優を始めて5年くらいなのですけれど、最初は何もわからないから皆大人で監督とかスチールさんも凄い人で、私のエロスなんて見透かされている感じのイメージだったんですが、3年目くらいから、あれそうでもないかな…と 笑
私は私。私はこうゆうのが表現したいっていうのが出てきて、自分のイメージするエッチで可愛い作品が作りたいと思うようになり制作を始めました。
―作品をすべてセルフポートレートで撮られるのは何か意図があるのでしょうか。
照 やっぱり作品の良さや伝えたい部分がそれをわかっている人が演じた方が良いと思います。私が良いと思うものを作るためには、「これ何が良いんだろう」って思っている可愛い子を使うよりも、自分が被写体になる方が説得力もあるし、自分の意思で制作できるので、自分でモデルもやっています。
―照沼さんの作品はどれも女性らしいですね。可愛くてエロいです。
照 綺麗とか格好いいって言葉は憧れで、自分とは別物な感じがします。可愛いって言葉は目下な感じで感情移入しないと出てこない言葉ですよね。
―照沼さんの写真は色使いなんかも少しグロテスクな所があって、それはご自分の中で意識はされているのでしょうか?
照 自分はグロいのが好きなわけではなくて、逆に潔癖な部分が強いのですが、いやらしいものとか、いけないものだと感じる心や恥ずかしいという感情にハっとする所があります。ぶっかけとかメッシー系だとぐちゃぐちゃに汚されたりとかロリ系の可愛いって感じの人が可哀想な感じになるのが好きです。可愛くてお人形さんみたいなドレスとか着ているんだけれども、それだけで可愛いというよりも、そこで百足が足に乗っかっちゃっているような可哀想な感じが大好きなんです。可哀想っていうのは可愛いをより引き立てると思います。そうは言ってもThe・SMっていう感じではなく作品を制作したいです。この写真は私の中の趣味がとても現れている感じです。
―照沼さんの中で「食欲と性欲」というのはどのようなテーマなんでしょうか?
照 私は性についてとか質問されたり、話さなくてはいけない時に、よく食欲に置き換えて話をすることが多いです。「どういうSEXが好き?」という質問に対して、「その日による」って上手く答えられます。贅沢なご馳走が良い時もあればお茶漬けが良い時もある。存分に愛して欲しい時も、唾つけて入れてっていう時もある。結構色々な事で例えられたりするんです。とても近くて似ているものだと思います。初めて男の人とお付き合いした時に、その人の前でご飯が食べられなかったんです。お腹すいてると思われるのが恥ずかしくて…食べたいって思っている事を知られる事が恥ずかしかった。皆さんHな事については恥ずかしいって思ったりするけれど、彼氏と食べ放題に行ったりするじゃないですか。それは私の中ではとても恥ずかしい。でもその人のセンスによって何が恥ずかしいと思うかはその人それぞれだと思うんですが、女性ならではの乙女心とかそういった恥じらいの部分を傷つけるという意味で、「綺麗で可愛いお人形さん」でいたいのに、そういう欲望の部分が自分にあるって嫌だなと思う乙女心を表現したいのです。
照 笑 睡眠は視覚的にも地味ですし。笑
行為に背徳感とか恥じらいが無いので作品には入れていません。
―写真展では大体何点ぐらい展示予定ですか?
照 まだ未発表の新作が20点ぐらいで、以前発表したものとあわせて70点くらいを予定してます。凄く楽しい展示になると思いますので是非見にいらして下さい。ちょっと胃がもたれるかもしれないですけれど 笑
はしたない、恥ずかしい。乙女心を傷つけるものたち。でも翻弄されてしまう。
可愛いを詰め込んだポップな作風の中に潜む毒々しい欲望を覗かせる、乙女心満点な照沼ファリーザの写真展・展示は9月6日(月)~9月18日(土)です。
照沼ファリーザ/TERUNUMA FAREEZA プロフィール
東京生まれ。日本とシリアのハーフ。2008年、写真家としてデビュー。
2009年3月に開催されたアートイベント『GEISAI#12』において多くの審査委員、アート関係者に絶賛され、審査員賞を受賞。2009年5月に新宿、6月には渋谷にて写真展を開催。セルフ・ポートレートという手法で可愛らしくポップな雰囲気ながらも淫靡でフェティッシュな世界観を表現している作品は日本、台湾等の各メディアに取り上げられ話題となる。2010年9月には銀座ヴァニラ画廊にて個展開催予定。
写真家以外のもう一つの顔として2005年AVデビュー。以来、およそ4年間で300本以上の作品に出演、ロリ系のルックスとNGなしの変態系実力派プレイでトップクラスの人気を誇り、2010年からは企画から関わり監督としても活動している。
2009年7月、個人事務所『株式会社fanfan』を設立、写真家「照沼ファリーザ」として、AV女優、監督「晶エリー(akiraelly)」として、またファリーザ名義でLIVEハウス等で音楽活動を行うなど幅広く活動している。
■9月11日(土)17時~からは☆照沼ファリーザ特別トークイベントも開催致します。
皆様のお越しをお待ちしております。
入場料1500円(1ドリンク付) ゲスト:AVライター:雨宮まみ
夏休みエロティック強化月間・トリを飾るのはもちろんこの巨匠!ヴァニラ画廊の夏の風物詩といっても過言ではない鏡堂みやび氏の登場です!
鏡堂氏のCG画は写真と見紛うようなリアルな作品です。氏は作品をパソコン上では等身大で制作を行ない毛穴の一つ一つまで細密に濃厚に描き込んでおります。会場内には大暖簾も展示しておりますが、ここまで大きく引き伸ばしても見劣り無しの大迫力!CG作品を制作する際の大元となる肉筆画も多数展示しております。暑い夏には熱いものを汗をかきながら食すと夏ばてをしない…とは言いますが(?)この暑い夏だからこそ、汗の滴る責め絵を見て暑気払いは如何でしょうか。
■8月23日(月)~9月4日(土)
神からくだりし五器売りを 五器を売らぬで娘売る 娘のお名をば何と申す 細よし細丈供御と申す 髪には水牛の櫛をさし 胸には法華経を垂れ下げて 御手には水晶の数珠を持ち 腰には緞子の帯を締め 足には 紫足袋を履き こうやじゃなければ売られのさ 紺頭巾ないのさぬ無阿弥陀仏 南無阿弥陀・・・・
「芸術か猥褻か?」という問いの一番遠い処に身をおく孤高の作家、鏡堂みやびの回顧展。いくは浄土か穢土か、滴る汗を拭いながら観る緊縛まぐあいの恍惚、旧盆をはさみ修羅の開催。
鏡堂みやび Miyabi Kyoudou / プロフィール
1957年、北海道札幌に生まれる。同志社大学文学部卒業。SM雑誌編集長、緊縛師、商業デザイナー、漫画家、脚本家などをしながら1980年代後半より、現在のスタイルの「緊縛秘画」を制作する。2005年、石井隆監督作品、映画「花と蛇2」では主演の杉本彩をモデルに緊縛画を描いている。東京都世田谷区在住。
田亀源五郎個展「WORKS」
※8月14日(土)田亀源五郎特別トークイベントに関してのお知らせです。
イベント開場時間は16:50を予定しております。
今イベントは先着順のご案内となります。予約制ではございませんので、会場外にお並び頂いた順にご案内となります。(イベントが始まってからのご入場はお断りさせて頂く場合がございますので、あらかじめご了承下さい。)
■田亀源五郎特別トークイベント 8月14日(土)17:00~ 入場料1,500円
ゲスト ポット出版社長 沢辺均・AVライター 雨宮まみ
「ゲイアートシーンの現在と未来」×「男と男のエロス」
※8月15日(日)も営業致します。
営業時間は12:00~17:00までとなりますので、ご注意下さい。
田亀源五郎個展、カラー作品から鉛筆画・毛筆画、CG作品、漫画原稿と多岐に渡り、初期作品から最新作まで氏の画業を俯瞰できる盛り沢山な展示となっております。
一貫してエロティックな表現に拘り、描き続けてきた作品群のパワーと表現力は圧巻です。
今回のDMにも使用した作品は、画廊に入ると最初に目に飛び込んできます。最新作のジークレーです。
入場時にお選び頂く蔵書票3種・紙の質感まで拘った特製蔵書票です!
どれにしようか、皆様お悩み頂いております。
田亀氏の作品のエロティシズムはまさに「ゲイ」という性の関係と切っても切れないものですが、その卓越した技術を持って描かれた作品には、男性・女性の区別に関係なく強い魅力を感じて頂けることでしょう。
そういったパワフルな作品に囲まれて行われる、色濃いゲストの方2名と田亀氏のトークイベントでは一体どのようなお話を伺えるのでしょうか。
猛暑にも負けない、力強いエロスがさく裂するゲイ・アートの世界を一段と愉しめること、間違いなしです。
この素敵な機会を、どうぞお見逃しなく!!
猛暑に相応しいヴァニラ画廊夏のラインナップ・夏休み企画第二段はゲイ・エロティックアートの巨人、田亀源五郎展です!初期作品から最新作まで圧倒的なパワーと官能美溢れる作品群を是非ご高覧下さい。
もちろん作品販売も行ないますので、この貴重な機会をお見逃し無く!
今展示には田亀氏のセンス光る素敵なお土産付です。(是非コンプリートを目指してください♪)
14日には特別トークイベントも開催されます。

■田亀源五郎展「WORKS」
■入場料500円 お土産付き
■8月9日(月)~8月21日(土)
■田亀源五郎特別トークイベント 8月14日(土)17:00~ 入場料1,500円
ゲスト ポット出版社長 沢辺均・AVライター 雨宮まみ
「ゲイアートシーンの現在と未来」×「男と男のエロス」
己の感じる男のエロティシズム、フェティシズム、サドマゾヒズムをテーマに、20年以上活躍してきたゲイ作家・田亀源五郎による、日本国内では初となる本格個展。初期作品から最新作まで一挙に展示。既に海外からも高い評価を受けている、パワフルなゲイ・エロスの世界をお愉しみください。
田亀源五郎プロフィール
1964年生まれ。多摩美術大学在学中、ゲイ雑誌や耽美雑誌に別名義による作品を発表しつつ、卒業後の1986年にゲイ雑誌「さぶ」で本格デビュー。以降アート・ディレクターをしながら、マンガ、イラストレーション、小説等を発表、1994年からは専業作家となる。マンガ単行本多数。アーティストとしても、主に海外で個展や企画展などの開催多数。また、過去の日本のゲイ・アートの研究にも取り組んでおり、編纂画集の出版や企画展なども開催。(http://www.tagame.org)
ヴァニラ画廊では、展示スペースとは別に古書・書籍も多く取り扱っております。
こちらのコーナーでは作家や画廊スタッフが、書籍をご紹介したり、その周辺にまつわるコラムなどを掲載致します。
第一回目は、只今ヴァニラ画廊のショーケース内にて書物を追憶するブローチ作品シリーズ《Mourning Casket──追憶の寶石箱》・『死都ブリュージュ』を追憶する新作ブローチ《皮膚と遺髪のネック・ブローチI ~ 夜の喪章》を展示中のミストレスノールによる特別寄稿・作品はもちろん「死都ブリュージュ」です。
《上作品》「死都ブリュージュ」を追憶するブローチ《皮膚と遺髪のネック・ブローチI ~ 夜の喪章》
ヴァニラ画廊・ショーケース内で展示中
ヴァニラ画廊では古書肆マルドロールより、ジョルジュ・ローデンバック関連の書籍(森開社)をお預かりしております。
古書肆 マルドロールhttp://www.aisasystem.co.jp/~maldoror/
ヴァニラの書匣①
死都ブリュージュ

著:ジョルジュ・ローデンバック
沈黙と憂愁にとざされ、教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都ブリュージュ。愛する妻をうしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは、亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった。世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギーの詩人・小説家ローデンバック(1855‐98)が、限りない哀惜をこめて描く黄昏の世界。
バレエへの夢想〜《死都ブリュージュ──半喪のパ・ド・ドゥ》
ミストレス・ノール
踊り子を描き続けた画家ドガの作品に《『悪魔のロベール』のバレエ(1871〜72)》と題された絵画がある(左画像)。そこには、バレエ史上、最初のロマンティック・バレエとして記念碑的に位置づけられているバレエシーン、墓から蘇った尼僧たちの踊りが描かれているのだが、絵画の主題はむしろ、踊り子との情事を欲するアボネ(年間チケットを持つ常連)の姿、すなわち当時の劇場の赤裸々な現実を描き出すことにあった。19世紀後半のパリでは、バレエは芸術の座から失墜していたのだった。(†)
この絵画から約20年後のパリで発表された『死都ブリュージュ(1892)』にもこのバレエシーンが予言的に登場するが、「踊り子たちはまず身持ちのいい女とは見なされていない」とあるように、バレエの不遇、バレエへの不信は依然として続いていた。
しかしながら、バレエを愛するひとりとして、都市そのものが幻想であるこの書物ほどロマンティック・バレエを夢想させるものはない。その夢想をここに記す──
バレエ《死都ブリュージュ──半喪のパ・ド・ドゥ》 プロローグ付き全三幕
Quomodo sedet sola civitas plena populo …..
あゝ哀しいかな古昔は人のみちみちたりし此都邑
いまは凄しき樣にて坐し
寡婦のごとくになれり …..
(文語訳『舊約聖書』《エレミヤの哀歌》第一章一節より)
荒廃したエルサレムへの悲嘆を綴る美しき調べ──カウンターテナーによるクープラン《ルソン・ド・テネブレ》とともに深紅の緞帳があがった。
【プロローグ〜白の女、または宿命】
薄闇の舞台には一枚の紗が降りている。紗は薄霧のように舞台を暈し、舞台奥の亡き妻であるバレリーナをうっすらとしか映し出さない。
琥珀の編み毛を垂らした亡き妻の、パ(ステップ)にそって慎ましくゆれる白薄衣のドレープは、灰色の薄闇からふわふわと、この世の者を惑わす妖しさをたたえて浮かんでは消え、ドレープの隙間からのぞく肌は、あの世の禍々しい白さで舞台に死の感触を漂わせている。ただ、琥珀の編み毛だけが、異様な生気を内に秘めて鮮やかに輝いていた。
ふいに、捧げるように差し出されたしなやかなポアント(爪先立ち)の、なんという厳粛さであろう! それは、あの世から放たれた宿命の矢のように、ゆっくりと、確実に、ブリュージュという地に下ろされた。亡き妻のポアントは語る──ブリュージュとは、厳格なカトリシスムの大気に覆われた、わずかな出来事にも敏感に震える灰色の水面であるということを。
こうして、ブリュージュの水面に、宿命の一滴がしずかに落とされた……
【第一幕〜琥珀、または遺髪のパ・ド・ドゥ】*パ・ド・ドゥは「二人の踊り」の意
紗幕があがると其処は、霧雨降る秋の夕暮れの室内。悲嘆にくれたユーグ・ヴィアーヌ、黒衣のダンスール・ノーブルがひとり、クリスタルの器に納められた亡き妻の遺髪を前に佇んでいる。遠くでカリヨン(鐘の音)が響いている。「死がもたらす憐れみ」である琥珀の編み毛をあたかも腕に抱くように、ユーグは踊り始めた。
慈しみ深く踏み出されるパのひとつひとつは、生そのものを薄く削いでゆく痛々しさに満ちていたが、ブリュージュの水面にはその悲痛を受け止める深いやさしさがあった。彼の視線はただただ腕の中のみに注がれ、黒衣で囲まれた虚空がしだいに色づいてゆく不思議を《琥珀のパ・ド・ドゥ》は切々と語っていた。
たしかに其処には亡き妻が居た。もはや触れることが叶わぬ苦悶が祈りのパとなって、あの世の入り口である遺髪が亡き妻を虚空に現存させていた。エレミヤの哀歌がやわらかな質感で色づいてゆく虚空を見守っていた。

フェルナン・クノップフ《ブリュージュの思い出—ベギーヌ会修道院の入口(1904)》
【第二幕〜黒、または罪のパ・ド・ドゥ】
黒ずんだ切妻並ぶ古びた河岸。ユーグは亡き妻にうりふたつの踊り子ジャーヌ・スコットに出会う。亡き妻を演じたバレリーナの一人二役である。
黒衣で現れたジャーヌは、ブリュージュをやすやすと無防備なポアントで進んでいった、カ トリシスムをたたえた水面であることを無視して。
ユーグは追う、まるでこの出来事が「運命の慈悲」であるかのように。黒衣のふたりが踊る《黒のパ・ド・ドゥ》は罪深い官能をたたえ、喪の色であった黒はしだいに罪の色となって灰色の水面を犯していった。婚姻していない男女の、許されざるパ・ド・ドゥであった。
白い頭巾を身につけたベギーヌ会修道女のコール・ド(群舞)が登場し、罪深い黒を中和するブリュージュの意志として、宿命を見守る包容力と厳格な視線とをふたりに注ぐ。真っ白な量感を形作るコール・ドは時に死を語り、また時に純潔を、無垢を、清浄を、峻厳を語り尽くす。
しかし、《黒のパ・ド・ドゥ》はよりいっそう罪の色を深くしていった。ジャーヌの蠱惑的なポアントは、ユーグの喪を穢し、信仰深い水面に強い衝撃を与えてしまったのだった……
【第三幕〜灰色、または影のパ・ド・ドゥ】
聖血(サン・サン)の行進の日、ユーグの邸宅の一室。通奏低音のようにやさしく鳴り響いていたエレミヤの哀歌はしだいに表情を変え、「信仰と苦行の勧告」の様相を帯びてくる。
苦悩しつつも罪に溺れるユーグは、今日はじめてジャーヌを家に迎えた。灰色の衣装に身をつつんだ影のコール・ドが、その事実を咎めるように部屋の片隅でふたりを見張っている。
ふいに彼女はクリスタルの器から亡き妻の遺髪を取り出し、挑発的に踊り始めた。彼が聖遺物のように崇拝のかぎりをつくしてきた遺髪、それをこんな風に扱うことは喪への冒涜だった。
遺髪をはさんで踊られる《灰色のパ・ド・ドゥ》のなんという荒々しさ……不安定な姿勢のパは互いを傷つけ合うように鋭く、たましいの尊厳を奪い合うはざまで遺髪は無言の悲鳴をあげていた。そうして美しい琥珀の編み毛は「死の道具」となってジャーヌの頸に巻き付き、彼女の息をうばったのだった……
影のコール・ドは、横たわるふたりに長々と灰色の影をおとした。影とは亡き妻の影、ブリュージュの影、この世とあの世のあわいに投じられたカトリシスムの影だった。亡き妻の宿命(白)が遺髪(琥珀)を通してジャーヌの罪(黒)と出会い、ふたりはひとりの女になってついにはブリュージュの影(灰色)に同化した。
「死んだ……死んでしまった……死の都ブリュージュ」──ユーグは、亡き妻と、ジャーヌと、そしてブリュージュとも死に別れたのだった。ユーグの全ては灰色の影となり、彼自身から消えていった。彼の前には沈鬱な「永遠の半喪期」が広がるばかりだった。
…..
いまは凄しき樣にて坐し
寡婦のごとくになれり …..
荒廃したエルサレムを寡婦にたとえて嘆くエレミヤの哀歌が、亡き妻そのものであったブリュージュへの嘆きと重なっていった。そして舞台は、影とともに灰色に沈黙していった……
死都ブリュージュ──寡婦であるブリュージュと寡夫であるユーグ・ヴィアーヌの、半喪への物語。
幕。
【大いなる夢想の恐れ多い付記】
振付:ローラン・プティ
美術:フェルナン・クノップフ
音楽:フランソワ・クープラン
カウンターテナー:フィリップ・ジャルスキー
ユーグ・ヴィアーヌ:マニュエル・ルグリ
亡き妻/ジャーヌ・スコット:アニエス・ルテステュ
パリ・オペラ座バレエ団
「」内の引用は全て、ローデンバック『死都ブリュージュ』窪田般彌訳(岩波文庫)より
†守山実花「美術とバレエ」(『バレエ・ガイド』収録・音楽之友社・2003)参照
■ミストレス・ノール Mistress Noohl / プロフィール
追憶とフェティシズムの繊細な世界を題材に、書物周辺のアート活動を行っている。
プライベート・プレス[Club Noohl]、ちひさな文藝キャバレー[霧とリボン]、トリンケット・ショップ[Tea Brooch Club]主宰。
現在ヴァニラ画廊・ショーケースにて、書物を追憶するブローチ・シリーズ《Mourning Casket》及び手製本『リボン・ブック《小譚詩》』、蔵書票を常設展示中。
[Club Noohl]http://clubnoohl.blog66.fc2.com
笠間しろう展「官能耽美、責め絵秘帖」
■7月26日~8月7日
http://www.vanilla-gallery.com/gallery/kasama/kasama.html

ヴァニラ画廊の夏の展示ラインナップは夏ばてを吹き飛ばす官能の嵐!!
あらゆるエロティック表現の巨匠が続きます。夏休みの予定には是非ヴァニラ画廊来廊を予定下さいませ。(ちなみにR-18展示が続きますので、大人の夏休み…としてですが)
トップバッターは笠間しろう展、濃密で濃厚なエロスの坩堝であります。
禁じられた夢の千一夜ワールド、耽美、陰虐、縄熱、昭和の官能絵師。
昭和から平成にわたって、精力的に活躍している官能劇画の巨匠であり、責め絵でも定評のある笠間しろう氏の回顧展の開催です。
今回の展覧会では、氏の代表的な作風の「責め画」を多数展示すると同時に、往年のファンにとっては垂涎の的、『スーパーレディー魔子』の漫画原稿も同時販売いたします。
笠間しろう/プロフィール
昭和12年生まれ、福岡県八幡市出身。デビューは昭和33年「土曜漫画」誌上、その後「漫画天国」「漫画アクション」で活躍し、『スーパーレディー魔子』などのヒロインを数多く生み出す。時あたかも悪書追放運動の吹き荒れるなか、ひたすら成人誌を舞台に発表の場を持ち続け今日に至る。。1970年頃に団鬼六氏の知遇を得て、各SM雑誌にも作品を発表し、『花と蛇』の劇画化をしてファンの評価を不動にした。若い頃には水商売にも手を染め、幅広い人脈を作り上げた。故上村一夫氏らと交友を保ち、無頼の日々をおくった武勇伝には事欠かない。独特の官能美を追求した作風は衰えることを知らず、肉感的な女性のかもし出すエロスの描写には人気がある。近年多くの作品集が復刻されアンソロジーも刊行されている。









