2012年6月アーカイブ

画家でありマンガ家、ロックミュージシャン、と様々な顔を持つ宮西計三。
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18日の聖ヴァニラ学園「朗読劇『青髭』」では朗読のパフォーマンスを行った。宮西はライブパフォーマンス終了後のアフタートークにて個展「ペニス主義」にかける想いを語った。

聞き手:内藤巽(ヴァニラ画廊オーナー)
 

 

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◇◆◇◆
 
内藤:あえて巷がエロスに関して色々とうるさい中、「ペニス主義」という個展名タイトルに込めた想いを教えて下さい。
 
宮西:我々男にとってペニスは大事なものであって(笑)、プラス面・マイナス面の両方兼ね備えた身体の一部です。肉体の付属物としてどのようにかかわっていくべきなのでしょうか。
人間が感じる快楽、恍惚それはある一種の崇高な喜びの、SEXはその「見本」です。ペニスとは人間を人間として縛る為の道具にすぎない。その人間が縛られる道具で快楽に終始してしまうと、幻想的な喜びに出会えません。更に次なる段階に進まなくてはなりません。幻想的な喜び、霊的な喜びへと変化し、「性」は最終的に人間が人間であって人間を脱却する方法にとなるのです。
男性ならペニスがあります。個人的に言うと、ペニスを捨てること、男性であるがゆえにペニスを捨てて女性化する、境をなくしたあとに、そしてまたペニスにたち戻って、もう一度子供の頃のようにペニスをいじる(作業する)。
その男としての作業の一つに「たらしこむ」という行為があります。いかに自分の性を他者に「たらしこむ」か。たらしこみ方は関係を求めることによって違う次元の喜びを手に入れるような違う次元の喜びの入り口、それが性の概念なのではないでしょうか。私は普段の生活において、自分の性を霊的に消化している、その消化の仕方こそが自分今世紀の人間を変身させるものと思うのです。そして変わっていかなければならないと考えるのです。精神的にも肉体的にも変身していかなければならない!自分の性の力によって、形的にも内面的にもより良く変化していかなければならない、今こそセックスに対峙しないといけない!
そこで私はもう一度、セックスという概念を土台に考えました。そういう意味において、あえて一番分かりやすい看板として「ペニス主義」という言葉を用いているのです。
 
 
内藤:ペニスというもの憧れを抱く気持ちはよくわかります。男は少年の頃から皆そうですよね。
でも、今回、私に見見せてくれた絵は「ペニス主義」と打ちながらも、ただペニスをモチーフにしたり描いたりしたりする画では無く、宮西さんならではの精緻なタッチとアイディアな素晴らしいと思いました。この人はどうやってこの線かいているのかと思うほど緻密な世界です。天才ですね。宮西さんの仕事は驚きの連続です。そして顔面がペニスで形成されている婦人の絵の様に、奇妙奇天烈、宮西さんにしか書けない独特な世界。宮西さんの目の付けどころは興味深いですね。
 
宮西:日本人の体形が少し変わってきましたね、容姿がかなり変わりました。本来、霊的な性、例えば見詰めただけで恍惚感が得られるとでもいうのでしょうか。人と人との接触が無くても幸福が味わえる、霊の世界の恍惚感を人はひょっとして体現できるのではと私は考えていいます。その恍惚感を体現する為に歴史があり、人間は変わるための何世紀かをすごしてきていると考えることもできます。
人間がSEXに薄められた快楽、特に男女との快楽に囚われ終始するのはもったいない。そのためにも自分の性をもう一度こねくり回して、何か表現にたらしこんで、自分の身に纏う。そうすれば人は性器を出さなくてもエロティシズムを持った存在になれると思います。そういう人が増えていくと楽しいですね()

◇イベントへの想い◇

(質問:画廊スタッフ伊藤)

 

・「呻吟」とはどのような表現手法なのでしょうか。

宮西:「呻吟とは“うめき”、うめきとは未知の感情です。

不確かな衝動に詩という方向を与え、感情に論理性、衝動に倫理性を付与する。“呻吟”はその客体化のひとつです。」

 

・今回のイベントは、個展のタイトルともなっている「ペニス主義」とどのような関わりがあるのでしょうか。

宮西:「絵は“線と点”です。“呻吟”が線とするならば、本田(出演者の本田龍)が打つ打楽が“点”です。そして現われる形象が音としての絵であります。」

 

・宮西先生にとっての絵画と音楽の表現方法としての共通点や違いを教えて下さい。

宮西:「絵は思想であって哲学でもあります。音楽は生き方として、無常な生きものとしての僕自身なのです。いや、そう在りたいと思うものなのです。思索や探求というと、“うさんくさく”嘘くさい!

もっと自然な“よろこばしい”生きかたを実践するために音楽表現が必要なのだと思います。」


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◇◆◇◆


宮西ならではの〈セックス〉を題材にした極めて厳粛な姿勢、そして〈性〉の世界を体現する圧倒的な技術量を存分に発揮した個展「ペニス主義」。629()19:00からは打楽の本田龍と共に朗読パフォーマンスも行う。〈性〉の蠢きを目で見て、全身で感じてみてはいかがだろうか。2012年の宮西計三の「ペニス主義」、その姿をぜひ脳裏に刻んでいただきたい。


宮西計三個展「ペニス主義」
 
625日~630日  平日12時~19時 土曜12時~17
 
*特別イベント&展覧会パーティー  宮西計三新作詩朗読
aproori
ライブMoanPoems【呻吟と詩】
 629()19:00~【入場料3,000円ドリンク付き】
出演:宮西計三(朗読)本田龍(打楽)
 
http://www.vanilla-gallery.com/archives/2012/20120625.html

 

 

 

 

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ヴァニラ画廊では625日より宮西計三個展「ペニス主義」を開催いたします。

 

◇宮西計三個展「ペニス主義」◇

 

625日~630日  平日12時~19時 土曜12時~17

 

*特別イベント&展覧会パーティー  宮西計三新作詩朗読

aprooriライブMoanPoems【呻吟と詩】

 629()19:00~【入場料3,000円ドリンク付き】

出演:宮西計三(朗読)本田龍(打楽)

 

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2012/20120625.html

 

古くは男根崇拝に始まり、繁殖豊穣のシンボルとして民間信仰のみならず文化芸能としても民衆の生活に深く結び付いてきた。芸術に於いてベルメール、モリニエの名を挙げるまでもなく、それはパワーそのものでアナーキズムにみちている。肉体が持ち得る最小最大のナイフとして詩アクメイズムがありロックセックスシンボルがありました。-時と場所を超えてたち現れる悪魔の形象-。今日のインポテンツジャパンにあって如何なる生殖を見せるのか!?乞うご期待。これは自慰に非ず!

 

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 ■天かける売笑婦 襤褸衣より覗きみゆ隠し処かうすもも色に毛のはためける黒雲われを鎮めんが暑さの後の微風か暴風の後の雨ほどにもおさまらずわれ欲するは雷なり雲破り天翔うすもも色を引き裂くいかづちのみなり血達磨なるわがPenis引き裂けたる尿道と陰嚢にわきし虫どもその口にいただきし薔薇の陰唇うじ共の競いしところまたわれもにたりや襤褸衣よりこぼれたるにほいに身はふるい垢の落ちたるとこをば這い回るいかにもそこにおるは我なり

 ■いとけなき少年をうつせしポートレイトあり その 青白くすんだるかんばせうつしとらんと絵描きしも その まなこいじらしくこばみける瞼のまたたくをみんしかたなしや や ぶれたるダイヤモンドのほころびに いと かなしやと筆とむる

 

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宮西計三 Miyanishi Keizo

 

 1956年 大阪生まれ。奈良に育つ。

 1970年 上京。真崎 守の弟子となり、1973年 徳間書店劇画大賞佳作第一席にてデビュー。以後イラスト、挿絵を手掛け、三流劇画ブームの一翼を担う。「ガロ」でもなく「メジャー」誌でもない独自のスタイルで作品を発表しつづけ、代表作には「ピッピュ」(ブロンズ社刊)、「エステル」「Maila」(供にペヨトル工房)「バルザムとエーテル」(河出書房新社)などがある。

 

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新作の素描、ペン画の他、リトグラフ作品も展示販売いたします。

鬼才・宮西計三が紡ぎだす至高のエレガンスとアナーキズムをどうぞご高覧下さい。

 

皆様のお越しをお待ちしております。

 




◇清水真理 個展開催記念インタビュー◇

 

只今ヴァニラ画廊にて個展を開催しております清水真理さんに、人形制作にまつわるあれこれや、今回の展示についてお聞き致しました。

 

 

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―今回例えばニルヴァーナ、禁断の果実などの物語が人形の身体の中に組み込まれモチーフになっている作品が多数ありますね。そのように至った経緯を教えて下さい。

 

 

清水:仕事で10年ぐらい人形と衣装を制作しており、一通りドレスや着物等を制作してきました。そのうち煌びやかなお姫様とかそういうものを表現したいのとは別に、心の中を表現したいという気持ちが年々強くなってきて、それは不安だったり希望だったりその人の表情とは違う心の内を表現したいと思っていました。

普通は人体を開くと内蔵があって、その内臓をただの肉塊というものより、精神的な身体の中に住んでいて備わっているもう一人の存在が住んでいる体内空間みたいなものに興味をひかれて、自分の身体の内の部分の見せてみたい。開けると物語が広がっているという形で、と考えていました。

旧作・新作でも身体の中に精神世界があるというわかりやすい表現方法で作っていると思います。身体、そして心の中にその人の天国も地獄も快楽も全部詰まっている、そんな世界を表現したいと思っています。

 

人形作家さんでアリスやファンタジックで幻想的なものを作っている作家さんは私も含め割と多くいるのですが、新作は天国と地獄のようなより落差があるものを作りたいという気持ちがありました。

激しい苦痛やその反対の恍惚の気持ち、身体の中開くと天国のようなものが広がっていたり逆にとてつもない地獄が詰まっていたりとか…その全てのカタルシスを表現したいと思って制作に励みました。

 

―以前のフリークス作品では、人形の美しさが身体に直接表現されていましたが、今回は無理やり身体を開くと天国と地獄が広がるっているような作品が多く見受けられます。特に大きな変化はありましたか?

 

フリークスの時には開かなくても表面にあるそのままの美しさを表現していたように思うのですが、今回は顔や表面上がとても美しくて、無理やり身体を開いたときにその固体の中にあるものは何かというものを作ってみたいと思っていました。というのも、この仕事を10年ぐらいやってきて、人形という「ひとがた」の裸体というものに限界を感じたときがあったのです。たとえば極端に言うと裸体の人形を作るときに4色ぐらいしか絵の具の色を使わないんですね。もっと人の形や服装といった部分ではなくて、作品そのものを見たときにがんと強い信念みたいなものが欲しいと思っていました。そうしたらだんだんと表現方法が代わってきました。


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―今回、作品のテーマには歴史上の不幸な末路を迎えた(本人にとってはそうではないのかもしれませんが)少女が多く用いられている気がします。

 

そうですね、本当は自分の好きなイタリアの聖テレジア像のようなものを、球体関節人形で作り込みたく思っていました。苦痛に酔っている、痛いけれども、痛みが快楽に変わって気持ちがハイになっちゃう美しさみたいな、運命に翻弄された薄幸の少女達の精神的快楽を表しています。変な言い方すると、聖女はみんなMみたいな(笑)突き詰めるとS聖女もたくさんいるのですが…()神々しい美というものが面白いなぁと思っています。

          

 

―今回一番思い入れがある人形について教えて下さい。

義足の少女ですね。私は義足にとても魅力を感じます。それは体の一部が人形であるからです。その身体の一部の人形をコントロールしながら生活していくのってすごい事だと思っています。人形で表現できる世界かわかりませんが、沢山義足の勉強をして欠損した自分の殻であの一部が人形として、日々使いながら欠落部分を埋めながら生活しているのがすごいなぁと。そこに美しさを感じて制作しました。今世の中の風潮として欠損への憧れをみんなもっているのではないかと感じています。失われているものへの憧れなのでしょうか。

 

 

 

清水真理個展は23日()まで開催しております。

今回のインタビューにて登場した作品も多数展示しておりますので、是非会場に足をお運びください。

 



◇スタッフコラム

無限の物語へと開かれた乙女達—表現する身体としての清水真理の人形



 

 

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 胸を開き、こちらへ陶然たる眼差しを向ける乙女達。

 その晒された空洞の内に広がる夢のような世界を眺めていると、まるで時が経つのを忘れる様な、深遠な物語に引き込まれてゆくような感覚を覚える。

 

 彼女達が己の身体を変容させ、物語るものは何なのか。

 

*****

 

 「考える、故に我在り」と宣うた哲学者デカルトは、その名高い著作「省察」第六省察において、感覚概念と心身問題を論じている。デカルトは幻肢痛(手や足を失った人がその失った部分に痛みを覚える現象)を例にあげ、実在しない部位にも関わらず痛みを感じるのは、脳の働きがある種の刺激を「足(或いは手)に起きた痛み」として表現しているからであると考えた。そしてこのような機能は手足を備えた通常の人体にも同じく働いているとする。私達が足を踏まれて足が痛いのは、足が踏まれたという行為が原因となっているのではなく、脳がその様に表現したから、ということである。何故そのような働きがあるかといえば、それは生命を脅かす危機を回避するためだ。身体を損壊する刺激を忌むべきものとして、その刺激が起きている場所に痛み(不快な感覚)を感じなくては私達はその刺激を適切に回避出来なくなってしまう、ということである。

 これは、感覚概念は「表現」という精神と身体の指示関係によって成り立つということを示していると考えられる。この認識に関する解釈を、冒頭にあげたあのデカルトの有名な提言と繋げて考えてみることは可能であろう。

 デカルト以前に考えられていた人間の認識のシステムとは、我々の認識は我々の身体の外部に存在する物体の類似(似象、写真やの様なもの)だとしてきた。しかし冒頭に挙げたように、デカルトは思惟する自己以外に、その存在を確実に証明できるものはないとし、その考えを退けている。つまり全ての認識は「私は~と思う」ということである(例えば「あの薔薇は赤い」ではなく「あの薔薇は赤いと私は思う」)。そして認識によって得られる概念は身体の外に実体が存在しているのではない(=質量的虚偽)のにも関わらず、身体の外界における様々な運動や力を表現する事ができる、ということ、つまり概念の「表現的実在性」を定義している。

 これらのデカルトの解釈によって、感覚及び認識と身体の関係性は、従来考えられていた、外界の事物との類似という制約から自由にされ、「記号」として様々な概念を「表現」できるようになったと考えることは出来ないだろうか。

 

 話を清水真理の人形作品に戻そう。今回の彼女の個展のタイトルは「Metamorphoseー変容ー~傷みが悦びに変わるとき~」である。乙女達は身体を開かれ、或いはその一部を失い、或いは拘束されている。だが痛みや不自由さによる苦悩は、彼女達の身体において最早不快ではなく、先のデカルトに対しての解釈と照らし合わせるのであれば、恍惚を「表現」する「記号」として働いているように思える。

 動物の本能で考えればその苦痛は忌避すべきものであろう。だが人間はそうしてこなかった。いやむしろ、そのようにしなければ人間は生きてゆくことが出来なかったのかも知れない。神の子は十字架に磔刑にされ、血を流し苦しんだ。修道士達は己の欲を取り払う為、自らの身体に鞭をふるった。

 宗教、信条、矜持…誇るべき理由を持ち、苦痛を甘んじて受け入れることによる恍惚。常識や道徳に背いても貫きたい情念のゆえに傷む人々の姿に、私達は気も触れんばかりの崇高さと、えも云われぬ官能性を読み取ってきた。

 肉を超越する精神的な崇高さを求めながらも、同時に肉体の官能性をも味わうことの、この滑稽にさえ思えるアンビバレンスな作用!

 痛覚を単なる回避すべき刺激としてではなく、「痛み」という名前を付けてんだことから、そもそもこの複雑な関係性は始まっているのかもしれない。そしてそれこそが、感覚概念の「表現」による、自由な想像/創造の力でもあるのではないだろうか。

 

 デカルトは身体のことを「心がその一部である合成体」と定義した。ならば清水真理の人形達もまた、「心」を持っているだろう。彼女達の体は単なる容器としてではなく、痛みをもその身体に含み恍惚として表現する、自由で無限な思考の可能性を備えて、そこに佇んでいる。

 

 肉体という有限で不確実な物体を持ちながら、研ぎ澄まされた「傷み」がその身体の上に愉悦の花を咲かせる時、彼女達はまるで天使の様な聖性を感じさせる、高次の存在へと変容してゆくのである。

 

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 聖テレジア、ジャンヌ=ダルク、プロセルピナ…

 

 あるいは名も知れぬ乙女達。

 

 私達の眼前に堂々と晒された彼女達の美しい五臓六腑と四肢は、無限に広がる聖と俗/生と死の深淵を、静かにしかし雄弁に、物語続けるのである。

 

(画廊スタッフ:伊藤)

 

 

 

 

ヴァニラ画廊では611日より清水真理 個展 「Metamorphoseー変容ー~傷みが悦びに変わるとき~」を開催致します。

 

◆清水真理 個展 Metamorphoseー変容ー~傷みが悦びに変わるとき~◆

 

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2012/20120611.html

 

・会期:611()623()  ※617()も特別営業致します。
・平日12時~19時  土日祝12時~17

・入場料:500

◆イベント616() 【メフィストフェレス 船本恵太の暗黒人形アニメとファントグラム魔術ショー】

30人限定 2500円 17時開場予定

メフィストフェレスに扮する船本恵太氏が、当日会場で人形達の霊を呼び覚まします。

19世紀末ヨーロッパの人々を驚嘆させた幻影劇場を人形アニメの上映とともに再現します。

上映作品 「鏡を通り抜け、そこで少女が見たものは」他人形アニメ作品

 

ファントグラム・・川村徹雄氏考案の、立体映像撮影・上映可能なシステム

 

◆写真集発売!会場にて販売を致します。

清水真理人形作品集「Miracle~奇跡~」

発行=アトリエサード/発売=書苑新社

 

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あらゆる受難を涙とともに受容し

彼女の顔がひとすじの希望に照らされ輝く時

苦痛が限界を越える時、それは例えようのない快楽に替わる。

光の矢で心臓を射抜かれ、あまりの快感に恍惚と顔を仰け反らせる聖テレジア、信仰のために焔の中で身を捩らせるジャンヌ・ダルク。

または身体の一部の機能が機械に替わり、自由に抑制を強いられることによって、残された感覚がより鋭敏に官能的に研ぎ澄まされた義足の少女。

私は敢えて試練の道を選びながら、顔を紅潮させ自分の苦痛に酔いしれる彼女たちに、触れがたい程の気高いエロスと、息絶えんばかりの絶頂を夢見る。

羞じらいに頬染めていた清らかな柔肌の乙女達は、過剰な苦痛を盲目的に受容する時、蛹が蝶に生まれ変わるように、肉体の真の喜びを知る聖女へと変容する。

 

8年ぶりとなる写真集発売と、それを記念する新作を含む個展を開催します。

 

◆清水真理プロフィール
人形作家 / 人形教室アトリエ果樹園主宰
多摩美術大学在学中より球体関節人形制作開始。
バンド「MUCC(ムック)」のCDジャケットとライブに球体関色節人形が起用される。ラフォーレ原宿「ゴシック&ロリータ万博」に球体関節人形出展。 ARTBOXよりポストカードブック「ワンダードール」、新風舎より球体関節人形写真集「双子の国のアリス」発売。映画「アリスが落ちた穴の中~Dark Marchen Show!!」(監督:寺嶋真里)に球体関節人形制作で参加。2010年丸の内丸善松丸本舗に人形展示。
個展、雑誌掲載など多数。

 

 

皆様のお越しをお待ちしております。