享楽のフランツ・フォン・バイロス

 フランツ・フォン・バイロス(1866-1924)の手掛けた『神曲』の挿絵の一葉、「ヴェディゲン」をみて驚いた。真黒い波間から白い腕と剣がにょっきりと空に向かって伸びている構図、これはまるで小村雪岱(1887-1940)の描いた「お傳地獄」(邦枝完二/1933)の一場面にそっくりではないか!

 
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左・バイロス『神曲』(1921)の挿絵 / 右・小村雪岱「お傳地獄」(1933)挿絵(1)

 

 谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」(1917)などで有名な水島爾保布をはじめ、大正から昭和初期の挿絵画家が、広くバイロスと同じ世紀末芸術の代表格であるビアズリー(1872-1898)を享受していたのは有名な話だ(爾保布自体は否定しているが、どう見たって似ている)。少し遡って、明治期に発行されていた雑誌『明星』上の一連の挿絵が、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)の影響を多大に受けたものであることは、そのイメージを見れば一目瞭然だろう。逆に、ビアズリー自身も日本の浮世絵と併せて論じられることは少なくないし、もちろんバイロスの挿絵にだって、ジャポニスムの影響を受けた作品は多数散見する。

 このような東西の挿絵の交流、特に日本の挿絵画家による世紀末を中心とする西洋挿絵の、享受が、橋口五葉から初期の岩田専太郎(つまり明治末期から昭和戦前頃)におよぶまで広く行なわれているという事実はこれまでもしばしば指摘されてきているとおりで、いまさら例を挙げるまでもなかろう。とはいえ、あの「昭和の春信」と称される雪岱とバイロスに接点がある、というのはこれまでもあまり聞いたことがない、というよりも考えてみなかった。描写方法の影響はもちろん、構図の踏襲などは絵描きの間では何も珍しいことではないので、そう騒ぐこともなかろうが、しかしやはりそこはバイロスと雪岱、この妙な組み合わせに驚かないというほうがおかしい。それも「お傳地獄」という、比較的有名な作品で出てこようとは……

 

 さて、前置きが長くなったがバイロスの話である。

 昨今、世紀末芸術の人気は衰えを知らない。中でもビアズリーやモローといった、いかにも耽美で退廃的な傾向を持つ作家はその認知度の高さに驚かされるくらいで、展覧会を始め雑誌にもしばしば登場していたりするのだが、その一方、こういった世紀末芸術愛好家内においてバイロスの知名度はいかほどのものなのだろうか。

  そもそも、この日本にバイロスが紹介されたのは、いまから80年ほど前の大正末期から昭和初期にかけてのことであるらしい(2)。彼の作品はこの輸入当初からもっぱら好色物ばかりが扱われていたようで、その紹介者に梅原北明や斉藤昌三という名前が挙げられていることからもその異端ぶりがうかがえる。もともとバイロスは、ヨーロッパにおいてはエロスの画家として名を馳せており、その作品は主に好事家の間でこっそり楽しまれることが多かった。それは現在残っているバイロスの作品の半分以上が蔵書票をはじめとする個人的依頼で製作されるもので占められていることからも明らかなのだが、この実像はどうやら日本へ入ってきてからも長い間かわらなかったらしく、昭和初期には「淫画集」などという題名で、好事家の間でこっそり頒布されていたという記録もあるそうだ(3)。その好色画家バイロスの名が一般に広く知れるようになるのは戦後、ようやく日本でも画集が発売さることになってから……といいたいのだが、なんとその画集も猥褻ということで摘発を受けてしまうのである(1979)。いわゆる「猥褻か芸術か」というお決まりのパターンで、もちろんこれをきっかけにバイロスの名前はたしかに衆目の知れるところとはなった。なったけれども、それはあくまで一時のワイドショー的興味でしかなく、結局はいつのまにか忘れ去られてしまう。これまで幾度となく表舞台で語られてきたビアズリーをはじめとする世紀末芸術に対しバイロスがずっと水面下で好まれてきたのは、どうしても好色物というイメージが先行するがゆえに、芸術性を論じるところまでたどりつかなかったからということもあるのだろう。

 

「デッサン力や構想力においてはるかに勝りながら、あのビアズレーの単純な白黒の線描に、その芸術的品格の高さにおいて、はるかに及ばないのがバイロスという芸術家の宿命であった。」(『芸術新潮』1979.6

 

 と述べたのは澁澤龍彦だが、ここで彼が「芸術的品格の高さ」を指摘はとても興味深い。バイロスは同時期のビアズレーやロップスにくらべられることが多いが、得てしてその両人よりも評価が低いのは、バイロスが「才能を営利化」するあまり「しばしば注文に合わせて、<手法>よりも<内容>に重点を置いた」点に拠るところが大きいといわれている(4)。要するにバイロスはけっこうな商売人であったということだ。それは今回、ヴァニラ画廊に展示されているバイロス直筆の手紙からも、なんとなく伝わってくる。その思想が良いか悪いかは別として、商売人・バイロスが独りよがりの品格よりも、鑑賞者により近い立場で描くことを求めていたという点については評価すべきであろう。もちろんこういった蔵書票周辺の個人的作品と文学作品へのオマージュとして製作された挿絵とを混同して評価することは非常に危険なことではあるが。

 今回展示されているバイロスの作品を見ていて気づくのは、彼の作品が場面としては死の香を濃厚に漂わせながら、実際にはその対立項としての生命をひときわ目立たせているということである。中でも『サロメ』の挿絵は秀逸で、ビアズリーやモローによって幾度となく描かれてきたサロメ像と、そのお約束ともいえる構図を、バイロスはいともたやすく破っているのがおもしろいではないか。「成就」という作品で自ら所望したはずのヨカナーンの首には見向きもせず、サロメはその肉体=胴体を慈しんでいるし(思えば彼の首を描いた絵は多数あれど、肉体への執着を示す作品はあまり類を見ない)、それに続く「天水槽」「サロメ達の姉妹」でも、その首はの象徴でもある生花で彩られ、生者によって讃えられている。そこには一切の禍々しさも暗さもなく、ある意味あっけらかんとした生きるものの享楽があるだけである。

 思うにバイロス作品の優れた点は、この暗さを感じさせない描写なのではないだろうか。好事家に気に入られ、多くの作品を描いてきた彼が獲得したのは、享楽を共有ということにほかならないような気がするのである。明るくて前向きな快楽、それはきわめて鑑賞者の目線に近いところから描かれた理想郷であったのではないだろうか。

 

1 埼玉近代美術館「雪岱とその時代展」図録(2009)より引用

2 山本芳樹『バイロス公爵画集 世紀末の甘美な夢』(京都書院1998

3 2同書

4 ウィルヘルム・M・ブッシュ「バイロスの世界」(生田耕作訳/『バイロス画集』奢都館1992所収)

 

(スタッフ・つかだ)