怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ。」(フリードリヒ=ニーチェ)―水元氏は今回の個展のタイトルの後にこの言葉を引用している。私は大学でニーチェ思想の研究をしているのだが、浅学ながら、この言葉は水元氏の作品に実に似合っていると感じた。ただし、インタビューからも分かるように水元氏はその言葉を作品制作において自分自身に課したものとしているが、私は寧ろ、その水元氏の作品を覗きこむ我々に向けられた言葉であると捉えている。
水元氏の作品には、鮮烈なインパクトではないが何とも言えない違和感がある。指によって拡げられた鼻の穴、引っ張られる口、少し行き過ぎた「変顔」とでも言えば良いのか、つまり描き出された彼女らの顔は、まあ真似をしよ うとすれば、私達にもどうにか可能な程度の変形をしている。そこに鋭く切り裂かれた傷口や派手な身体の改造はない。しかしだからこそ、水元氏の絵は見る者達の心に一点の染みを落とす。作品を前にして、私達は何でもないふりをして毎日を過ごしている、その足元を掬われたような、胸がざわつく感覚を覚える。日常からの小さな逸脱。それは私達の心を静かに、しかし深く侵す、仄暗い後ろめたさへの快感である。
また、水元氏の作品のもうひとつの魅力は、水元氏が彼女達の姿を 「美しい」「愛おしい」と思って描いているところだろう。丁寧に描写されたその姿には過剰なエキセントリックさやグロテスクさは無く、静謐な空気の内に彼女達はひっそりと佇んでいる。その前に立った貴方は何を見るのか。或いは、己の内の何かが瓦解してゆくのを感じるのか―いずれにしろ、その「深淵」は貴方を、じっと覗きかえすだろう。