10月26日(月)より森崎里菜展「dress」が始まった。第二回ヴァニラ大賞で宮田徹也賞を受賞し、現在は大学院で人体彫刻の制作に取り掛かる森崎里菜の作品は多くは、一見してわかるように女性が傷を纏っている。顔面に大きな青痣を残している少女。首元から朽ちていく女性。また、バレリーナの美しい衣装を纏った少女像はその煌びやかなレースの下に、夥しいケロイド上の瑕を覗かせる。新作の中でも、白無垢をまとった花嫁と思しき女性像は、全ての歯が抜かれ、お歯黒の代わりに鮮血が彼女の口内を満たしている。

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 どれも言葉にすると凄惨な限りなのだが、森崎の作品に全く悲壮感は感じない。どの作品も口元は優しく微笑み、美しく自信に満ちている。そう、穏やかに自らの傷を誇っているかのように見える。森崎は大学在学中から、セラミックを使用した作品を制作・現在は大学院にて制作を続けている。今回の出品作は長く制作を続けている『Dress』と『S』いう作品シリーズの新作と、『Broom』と題された新シリーズである。

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●森崎:

傷痕がある女の子像を制作すると、DVや暴力がテーマかと問われる事があるのですが、私は傷自体が美しいものと思って制作をしています。私自身が怪我をすることがとても多くて、火傷のケロイドの痕を見ながら制作したり、ものもらいで目の手術をした時の記憶を思いだしたりしながら制作しています。身体改造も見るのは好きで、過去の『Dress』シリーズの中で、スカリフィケーションをモチーフにした作品も制作していました。広義の意味での身体装飾と、体を傷つけること。それに伴う痛み、そして美しい事とは何だろうかという事をテーマに、作品を制作しています。

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今回の個展では、『Dress』シリーズとは別の新作も2点展示しています。1点は焼き物の特性を生かしたシリーズで、火葬しても(窯の中に入れて焼いても)骨にならない女の子です。逆に火葬をすると、色をまとって綺麗になる作品です。

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もう一つは『Broom』と題したシリーズです。焼き物を制作すると、どうしても窯の中で割れてしまうものがあり、その割れを使用して制作しました。最初から内面が壊れているもの、そこから 現れる美しいものをテーマに制作しています。

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傷を付ける事と着飾る事、それが同義になるのは、唯一無二の存在であるという証を身体上、そして心に欲しているからだろうか。彼女達がとても穏やかに微笑むのが、答えのような気がする。

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展示は10月31日(土)まで。細かなディティールまで作りこまれた作品は、見た目と作品の微笑みにより不思議な空気を醸し出している。是非実際にその目で空間を味わっていただきたい。

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森崎里菜展「dress」

▼10月26日(月)~10月31日(土) 入場無料 ヴァニラ画廊展示室B

唇を強く噛んだとき、瞼の裏を切ったとき、爪が剥がれて落ちるとき 

赤や青で身体を彩ることは、痛みの模倣なのではないか。

 その疑問をテーマに、着飾る様々な少女像を展示いたします。

▼森崎里菜プロフィール

1991年生まれ。武蔵野美術大学卒業。着飾ること、傷つけること、痛いこと、美しいことについて、人体彫刻を制作中。

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2015/20151026b.html

2011年にヴァニラ画廊にて展示を行い、斬新でアンダーグランドなレズビアン・シーンを刻み込んだドイツのGoodyn Green(グディーン・グリーン)。アンドロジナスな女性のポートレート、ゲイポルノをオマージュし、性をユーモアで飛び越えていく前作は、多くの女性の心を捉えました。

今回、彼女が新作として発表するのは"The Log Book"と題されたシリーズです。

作品が到着して驚きました。

前作とはがらりと趣が変わり、恋人たちの穏やかで愛おしい時間がそこにはありました。

愛する人がいるならば、必ず共感する部分を感じる事ができるその写真作品。またしても性を軽やかに飛び越えるgoodyn greenの新作を是非ご堪能下さい。

 

"The Log Book"

"The Log Book"は、グディーン・グリーン自身が、被写体となるクィア女性の仮想的な恋人を演じ、その目で見る彼女達と自身との時間をドキュメンタリーのように 撮影した新作シリーズです。

 「この"The Log Book"というタイトルは、ある種のカレンダーのように、モデルたちと私との恋人としての時間・私の(仮想的な)性的体験をリスト化したものを表現して います。

このアイディアは、私たちがよく目にする普通の男性が撮影した恋人の裸の写真(女性像)からインスピレーションを受けました。

女性が「女性の恋人」を撮影した写真はあまり目にすることがありません。私はその視点から新しいシリーズを制作しました。

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私が若いレズビアンだった頃に見たエロティックな写真は、全てストレートの女性を写したもので、私はその写真に満足した事はありませんでした。

モデルがストレートの女性では、その写真に対するエロティックな願望やファンタジーもあまり持つことが出来ません。

 

この体験から、この夢のある仮想ドキュメンタリーの中では、クィア女性を撮ることが私の中でとても重要な点となりました。

クィア女性によるクィア女性のためのこの作品を、全てのクィア女性に捧げたいと思います。

エロティックで甘美な夢をあなたの心にもたらすものであってほしいと願います。」

Goodyn Green

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会期   ■ 2014年6月2日(月)~6月14日(土) 展覧会期中無休

会場   ■ ヴァニラ画廊 展覧会室B(〒104-0061 東京都中央区銀座8-10-7 東成ビルB2F)

営業時間 ■ 月~木12:00~19:00

       金   12:00~20:00

       土・日12:00~17:00

入場料  ■ 500円 同時開催中の「リーランド・ボブ展」もご覧いただけます。

URL    ■ http://www.vanilla-gallery.com/archives/2014/20140602b.html

3月17日より開催している展覧会、「ヴァニラ画廊大賞展」。ヴァニラ画廊主催の公募に応募し、審査員の目に留まった約40名の作品を発表中です。

審査員は昨年に引き続き、写真家・都築響一氏、美術評論家・宮田徹也氏、そして新たに美術評論家の南嶌宏氏が加わり、より豊かに、鑑賞者を驚愕せしめる未来への才能を厳選いたしました。

溢れんばかりの豊かな想像力と表現力を兼ね備えた作品が集まる中、大賞に輝いたのは波磨茜也香さんの「女学生」です。

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 「女学生」(162×130㎝・キャンバス・油彩・クレヨン)

「塗り残しの画面を放置するかの素振りを見せながら、「女子高生」のメタフォリカルな性器と見立てるかのような、「口」という交 換行為の器官への注視を促すことによって、画面全体に抜き差しならない性的な緊張感を生み出すことに成功している。」(南嶌宏)

「粗暴さがポジティブなエネルギーに転化する、スリリングな瞬間に僕らは立ち会わされている」(都築響一)

「充分な画力を持ち、空虚感が満ち溢れる今日の日本の動向に対して目を向け作品として昇華させる力に、これからもエールを送りたい。」(宮田徹也)

と各審査員を唸らせた彼女に、受賞の喜びを語っていただ」きました。

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この度は「第二回ヴァニラ画廊大賞」にて「女学生」を大賞に選んで頂き有り難う御座います。

初めての100号、初めての公募への挑戦、初めての受賞、、、etc、この「女学生」という作品には様々な「初めて」が込められています。

その「初めて」をヴァニラ画廊さんに捧げられるなんて、大変光栄です。

 とんでもないパワーを日常生活にてさらりと放ち、何食わぬ顔でスタスタと各々の目的地へ向かう彼女達の一瞬を描きました。

 今日も元気に登下校する女学生達を遠目に見ながら、波磨も元気に生きていこうと思います。(波磨茜也香)

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「第二回ヴァニラ画廊大賞」展は29日(土)まで。

100号という大きなスケールの第二回ヴァニラ画廊大賞大賞作品「女学生」を始め、各賞受賞作品等の発表を行っています。

月曜日~木曜日は12:00~19:00、金曜日は12:00~20:00、最終日29日土曜日は12:00~17:00までの営業です。

入場無料、フレッシュな感動にぜひお立合いください。

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♡第二回ヴァニラ画廊大賞展選評はコチラ

♡第二回ヴァニラ画廊大賞展展覧会特設ページはコチラ

 

 

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目を大きく見開く「medusa(メデューサ)

一度、目が合ってしまったならばもう二度とは動けなくなる伝説の怪物が、どうしてもこんなにも柔らかで、そして深い哀しみに包まれた表情を浮かべるのでしょうか。その秘密は製法と川上の「死」に対する特別な衝動に隠されていました。

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川上の今回の出展作品は全て漆で制作されています。漆の像と聞いて、奈良時代の興福寺の阿修羅像や東大寺の不空羂索像を思い浮かべる方も多いはず。川上の作品はこれらの時代の仏像とほぼ同じ乾漆で制作されています。粘土で土台を作った上に漆を浸した麻布を覆い固め、長い時間をかけ乾燥させた後、中の原型を取り去り彩色を施し、作品が完成します。

乾漆造の特徴として金属や粘土が使われないため、非常に軽いことがあげられるでしょう。このことが第一回ヴァニラ画廊大賞奨励賞作品でもある「macabre」(2012年)のように"骨で自立する娘"といった豊かなイマジネーションをかたちにすることができるのです。

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なぜ、ここまで手間や時間をかけた製法で、川上は「死」を具現化するのでしょうか。その衝動ともなる「死のイメージ」への想いを伺いました。

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私が今回の個展で展示したような、「死」を連想する作品を作りだしたのは5年ほど前からです。

それ以前は、同じ漆を用いた制作技法でしたが、現在の作品に比べると、もっと伝統的なスタイルで人間の内面性や精神性を表現していました。

それがなぜ「死」をテーマに作品を作るようになったのか。

 

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 ごく身近な所に生まれた生命が、私に「死」を強く意識させるようになったことが、その理由のひとつ。

もうひとつの理由は、彫刻という物体や、それを形作る物質で生命を表現することに違和感を感じてしまったこと。

 

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私は、これまで私が探求していた人間の表現が偽りに思えてならなくなってしましまい、

「生命表現のない人間の表現」 そして 「死の表現」に人間表現のリアリティを見い出したのです。

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 川上勉展「Sleeping beauty」(展示室A/入場無料)は31日まで。

乾漆造が引き立てる世にも奇妙で、美しく柔らかな死相の娘たちをぜひともご高覧下さいませ。

 

 

川上勉展「Sleeping beauty

「死」のイメージを、思いつくままに造形してみた。

「メメント モリ」を表現しようとした訳ではない。

ただの、物体としての人を表現したかった。

わたしは、命の表現より死の表現に惹かれる。

わたしは「死」を美しく表現したい。

それは、「死」に対する内なる恐怖心の表れかもしれない。

 

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平日の営業は12時から19時まで(金曜日は20時まで)、

最終日は17時までの営業です。

6月3日(月)〜6月15日(土)の期間、現在のヴァニラ画廊での最後の通常展示、中田柾志写真展「ブローニュの森の貴婦人たち」を開催致します。

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2013/20130603.html

(この後のゴキブリコンビナート展は、画廊内でセット組を致しますので、この展示が最後の通常展示となります。)

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過日のヴァニラ画廊大賞展で奨励賞を受賞された中田さんの写真には、驚かれた方も少なくないでしょう。

使用済みのコンドームが森の中に大量に捨てられている現場が写し出されている、リアルで生々しく、しかしながら不思議な生命力が溢れるドキュメンタリーショット。

あの写真はシリーズとして撮影した中の1枚として展示されたものでした。

今回は、そのシリーズ「ブローニュの森の貴婦人たち」の全貌がお目見え致します。

 

まず初めに、「ブローニュの森」とはどのような場所なのか、中田さんの言葉を借りてご紹介致します。

 

ブローニュの森...フランスのパリの西にある広大なブローニュの森(846万平方米)。昼は市民の憩いの場所、夕方から夜にかけて娼婦・男娼が出没する。

 

 観光誌などでこの森の事を調べると、国立の博物館や遊園地、庭園や競馬場まであり、まさにパリ市民の憩いの場であります。しかしながら夜になると売春目的の娼婦たちが商売を行う、危険な場所でもあるのです。

 

様々なシリーズを撮り下ろしてきた中田さんが「ブローニュの森」の撮影を行ったのか、そのきっかけを伺ってみました。

 

 

(中田)

2005 年4月にブローニュの森を初めて訪れるのですが、主な目的はドイツのフランクフルトにあるエロスセンター(個人で営業している娼婦達の部屋のある館)の内装の撮影でした。

その2ヶ月位前に、ツバルという国を撮りに行ってきた。世界で4番目に小さい国で、地球温暖化の影響で海面が上昇し世界で最初に水没し無くなると言われている国です。アラル海という世界で4番目に大きい湖が旧ソ連時代の無計画な農業政策によりあと数十年で無くなると言われている湖、この2つのシリーズを合わせて見せたら面白いと思った。当時は環境破壊や国境問題等の社会性のあるシリアスな作品を主に撮っていて、その流れでツバルにも行ってきた。

帰国してから数日が経ったころ、社会性のある高尚っぽい(?)写真がなんだかつまらなく感じてきて、その反動なのか、フラストレーションが溜まっていたのか、無性に「エロもの」を撮りたくなった。できればディープなものを。

 

それで、ネットで色々調べていたら、ドイツにある「エロスセンター」なる施設を見つけ、これは面白そうだと思った。パリにある「ブローニュの森の娼婦」を知ったのもの、この時期です。

「夜の森に出没する娼婦」、面白そう、でも危険だろうと最初は考えた。「エロスセンター」はそこまで危なくはないだろうと判断したので、ツバルから帰国して2ヶ月位でドイツに飛んだ。善は急げです。

「ブローニュの・・」は、ドイツの撮影後、ついでにちょっと寄って実態を見ておこうかなという程度の考えでした。ですから「エロス・・」に行ってなかったら「ブローニュの・・」も撮っていなかったと思う。

パリには3日間滞在したが、思いのほか娼婦を撮れ、危険性もあまり感じなかった。実際に行って見たら「森の中の娼婦」というシチュエーションはすごく好奇心をそそられた。新緑の時期は特に映える。

 

この時撮った作品を写真新世紀という公募展に出したら、荒木経惟さんが佳作賞に選んでいただき、これが自信になった。

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2009 年5月本格的に撮りたくブローニュの森を再訪。

この時「使用済みコンドームの散在した写真」※を撮ることができた。偶然なのか、それとも必然なのか判らないが、オイシイ写真を撮れたことで、ほくそ笑む自分がいた。

 

画廊内には5月の新緑溢れるパリの森、その一番ディープでほの暗い面が写し出された驚嘆のドキュメンタリーが展開しております。

中田さんがブローニュの森で出会った様々な人間の姿、まるで氏とともに森を探索し、歩いているような心象にすらなる驚嘆の追体験!

 

華やかなるパリの夜の一風景、多様な人間のあり方と存在を内包する不思議な森の光景を切り取った、渾身のフォトシリーズ「ブローニュの森の貴婦人たち」、是非お楽しみ下さい。

 

■中田柾志 写真展

■6月3日(月)〜6月15日(土)

※第二蒲田ビルでの開催となります。

 

フランス、パリ市の西部に位置するブローニュの森。セーヌ川に隣接し、場所によってはエッフェル塔が望める広大な森(846万平方米)。都会の喧騒から離れた静かな空間は、昼は市民の憩いの場として、週末は散歩やジョギング等を楽しむ人達で賑わう。

2005年4月と2009年5月の2度、この地を訪れた。

 

4月になると冬の暗鬱な空、寒さを乗り越えた植物は、陽光下、一斉に芽吹き、鮮やかな黄緑の色合いを作り出し、生命の躍動感で溢れだす。

古来、俗界から隔離した森には、精なるものが宿るという俗信がある。

陽が傾き、新緑の葉は茜色に染まり、辺り一面静寂に包まれていくころ、この森にはどこからともなく、光沢の衣をまとい肌の露な貴婦人たちが姿を現す。

性なるものが宿る、ブローニュの森。

  

 

中田柾志プロフィール

 

1969年 青森県弘前市生まれ

2002年 個展 NCアートギャラリー(東京都中央区京橋)

2003年 個展 NCアートギャラリー(東京都中央区京橋)

2005年 公募展 写真新世紀で『ブローニュの森』が佳作賞受賞

2012年 ヴァニラ画廊大賞 奨励賞

 

都築響一氏の【ROADSIDERS' weekly】で『ブローニュの森』が紹介された

 

 

※ ヴァニラ画廊大賞展の際に展示した作品です。(今回の展覧会でも展示を行います。)

 

杉山実展

巨少女

 

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―2012年突如出現した巨大肉塊「ハンド」によって人類は滅亡に追い込まれていた。唯一ハンドを倒すことが出来るのは巨大メカとなった少女達だけだった。今、彼女たちの戦いが始まる。

???

 

巨大肉塊「ハンド」?巨大メカとなった少女??

どこかで聞いたことのあるような、夏休みの始まりに、草むらの中で一人夢想したあの頃の青い香りが匂いたつ。
しかし杉山氏の圧倒的な想像力は、個人の夢想の極限まで、このとんでもない世界を濃厚で説得力のある描写で目の前に展開させていく。少女たちのその両の手は重い金属製で、時には翼に変わり空を飛び回り、また時には砲弾を排出する筒へと変わり、敵を破壊しつくす!

 

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次々に繰り出される彼女たちの戦いは言葉での説明無用、メカ少女たちが、ハンドたちにのみこまれ、傷を負いながらも活躍するさまはどうしてこんなにも胸躍るんだろう。

少女たちの虚ろな瞳が、この戦いの空しさと結末を喚起させるが、思うことは一つ、彼女たちの勝利も敗北もなく、終わりのない戦いの中に身を置く様をずっと見ていたいのだ。

 

 

 

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 会場内にはマザー・コスモスの扉に使用されたエッチングの数々、自ら製作したフィギュアのボックスアート、悲劇的な生き様を延々と提示するシュールにアニメーション「ソフトさんの悲劇」も上映中。杉山氏のサイトの名が示している通り、ヴァニラ画廊が「ミノルランド」と化した今展示、721日まで!

氏の仕掛ける才能の一大エンターテイメントを是非とも体感して頂きたい。

 

 

【杉山実展「巨少女」】http://www.vanilla-gallery.com/archives/2012/20120712.html

いよいよ721日迄!!

※最終日は15時終了となります。

 

 



◇スタッフコラム

無限の物語へと開かれた乙女達—表現する身体としての清水真理の人形



 

 

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 胸を開き、こちらへ陶然たる眼差しを向ける乙女達。

 その晒された空洞の内に広がる夢のような世界を眺めていると、まるで時が経つのを忘れる様な、深遠な物語に引き込まれてゆくような感覚を覚える。

 

 彼女達が己の身体を変容させ、物語るものは何なのか。

 

*****

 

 「考える、故に我在り」と宣うた哲学者デカルトは、その名高い著作「省察」第六省察において、感覚概念と心身問題を論じている。デカルトは幻肢痛(手や足を失った人がその失った部分に痛みを覚える現象)を例にあげ、実在しない部位にも関わらず痛みを感じるのは、脳の働きがある種の刺激を「足(或いは手)に起きた痛み」として表現しているからであると考えた。そしてこのような機能は手足を備えた通常の人体にも同じく働いているとする。私達が足を踏まれて足が痛いのは、足が踏まれたという行為が原因となっているのではなく、脳がその様に表現したから、ということである。何故そのような働きがあるかといえば、それは生命を脅かす危機を回避するためだ。身体を損壊する刺激を忌むべきものとして、その刺激が起きている場所に痛み(不快な感覚)を感じなくては私達はその刺激を適切に回避出来なくなってしまう、ということである。

 これは、感覚概念は「表現」という精神と身体の指示関係によって成り立つということを示していると考えられる。この認識に関する解釈を、冒頭にあげたあのデカルトの有名な提言と繋げて考えてみることは可能であろう。

 デカルト以前に考えられていた人間の認識のシステムとは、我々の認識は我々の身体の外部に存在する物体の類似(似象、写真やの様なもの)だとしてきた。しかし冒頭に挙げたように、デカルトは思惟する自己以外に、その存在を確実に証明できるものはないとし、その考えを退けている。つまり全ての認識は「私は~と思う」ということである(例えば「あの薔薇は赤い」ではなく「あの薔薇は赤いと私は思う」)。そして認識によって得られる概念は身体の外に実体が存在しているのではない(=質量的虚偽)のにも関わらず、身体の外界における様々な運動や力を表現する事ができる、ということ、つまり概念の「表現的実在性」を定義している。

 これらのデカルトの解釈によって、感覚及び認識と身体の関係性は、従来考えられていた、外界の事物との類似という制約から自由にされ、「記号」として様々な概念を「表現」できるようになったと考えることは出来ないだろうか。

 

 話を清水真理の人形作品に戻そう。今回の彼女の個展のタイトルは「Metamorphoseー変容ー~傷みが悦びに変わるとき~」である。乙女達は身体を開かれ、或いはその一部を失い、或いは拘束されている。だが痛みや不自由さによる苦悩は、彼女達の身体において最早不快ではなく、先のデカルトに対しての解釈と照らし合わせるのであれば、恍惚を「表現」する「記号」として働いているように思える。

 動物の本能で考えればその苦痛は忌避すべきものであろう。だが人間はそうしてこなかった。いやむしろ、そのようにしなければ人間は生きてゆくことが出来なかったのかも知れない。神の子は十字架に磔刑にされ、血を流し苦しんだ。修道士達は己の欲を取り払う為、自らの身体に鞭をふるった。

 宗教、信条、矜持…誇るべき理由を持ち、苦痛を甘んじて受け入れることによる恍惚。常識や道徳に背いても貫きたい情念のゆえに傷む人々の姿に、私達は気も触れんばかりの崇高さと、えも云われぬ官能性を読み取ってきた。

 肉を超越する精神的な崇高さを求めながらも、同時に肉体の官能性をも味わうことの、この滑稽にさえ思えるアンビバレンスな作用!

 痛覚を単なる回避すべき刺激としてではなく、「痛み」という名前を付けてんだことから、そもそもこの複雑な関係性は始まっているのかもしれない。そしてそれこそが、感覚概念の「表現」による、自由な想像/創造の力でもあるのではないだろうか。

 

 デカルトは身体のことを「心がその一部である合成体」と定義した。ならば清水真理の人形達もまた、「心」を持っているだろう。彼女達の体は単なる容器としてではなく、痛みをもその身体に含み恍惚として表現する、自由で無限な思考の可能性を備えて、そこに佇んでいる。

 

 肉体という有限で不確実な物体を持ちながら、研ぎ澄まされた「傷み」がその身体の上に愉悦の花を咲かせる時、彼女達はまるで天使の様な聖性を感じさせる、高次の存在へと変容してゆくのである。

 

****

 

 


 聖テレジア、ジャンヌ=ダルク、プロセルピナ…

 

 あるいは名も知れぬ乙女達。

 

 私達の眼前に堂々と晒された彼女達の美しい五臓六腑と四肢は、無限に広がる聖と俗/生と死の深淵を、静かにしかし雄弁に、物語続けるのである。

 

(画廊スタッフ:伊藤)

 

 

 

 

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇とを分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
(新共同訳聖書 旧約聖書 創世記第一章一節~五節)
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 古代エジプトや古代ギリシャ、キリスト教、仏教、神秘主義
 「光」は古来より現代に至るまで、様々な文化、思想において特別な意味を持つものとされてきた。それは例えば神の慈愛であり、完全なる調和と美の顕れであり、或いは人間の叡智の象徴であったりした。
 「啓蒙」という言葉一つを考えてみてもそれは分かる。つまり「啓蒙」とは、「蒙(くら)きを啓(あき)らむ」=光で照らす、ということである。無知による盲目の暗闇を、知性という光が照らすのだ。
 光とはつまり、人間が理想とするところのものをもたらすものである。その理想とは、知性と理性によって混沌と狂乱の闇を駆逐し、神の御愛によって栄光と安寧を享受する世界である。
 光に照らされることによって私達は周囲の物の輪郭や色を捉えることができる。そこで見出だされるのは確固とした己れであり他者であり、秩序であり論理である。その上に構築される安定した世界を、私達は「現実」として認識し生きてゆく。

 だが同時に私達はどこかで感じている、「全ては闇から始まった」ということを。私達の存在の根底には、淀み蠢く暗闇がある。それは光とて違うことではない。
 闇の内にあっては輪郭も色も、確かな意味を失い融け合う。それは絶対だと思っていた秩序と安定の崩壊である。その闇に融ける時、感じるのは恐怖だろうか、歓喜だろうか、それとも甘美なる苦痛であろうか。いずれにしろそれは私達を抗いがたく誘惑する。

 魔術とは、人間の持つそのような闇への憧憬と関係するものでもあるだろう。時に科学と結びつきながら、現実的な論理や秩序を超えた世界を臨まんとする魔術が古来から人間を魅了してきたのは、人間が自身の信じる理性の世界の限界と、根底に広がる闇の深淵を知っているからでもあるのではないだろうか。

 かのファウスト博士がその類い稀なる知性の果てに悪魔との契約を求めたように、膨れ上がった知識欲と想像力が、今再び暗闇の世界を欲しているのかも知れない。

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 薄暗闇の中、垂れ下がる電球の仄かな灯りに照らされて、夜光の芸術は浮かび上がる。
 この世のものならぬ者達が描き出された絵画、動物の骨格が作り出す美しいフォルム。
 黒い布に覆われた祭壇には魔術に用いる道具がずらりと並び、キャビネットには秘密の小箱のような作品がひっそりとしまわれている。

 地球に昼と夜があるように、私達人間は光と闇を行き来する存在である。どちらか一方に偏ることはできない。その間を漂い、光と闇が重なり混じりあうところに立ち現れる束の間の幻像が人間であり世界であるとするならば、夜光の芸術達もまた世界のひとつの姿である。
 
   現は夢、夢は現。
 
   暗闇の底に沈殿したように静かに犇(ひし)めきあうそれらの姿を、どうぞゆっくりとご観覧頂きたい。
(画廊スタッフ:伊藤)

 

 

 

 

展示は来週122日(土)17時まで。是非お見逃しなく!

ヴァニラ画廊では来週29()より、今年91日に急逝された小山哲生氏の追悼展示を行ないます。

実験的な創造で常に我々に新たな発見を与えてくれた小山哲生の世界。

深遠なる静謐と膨大なるエネルギーとが同居する、氏の作品の数々を心ゆくまでご堪能あれ


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小山哲生 追悼展 「天国の青い蝶」

 http://www.vanilla-gallery.com/gallery/koyama/koyama2.html


■11
29()124()
入場無料

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 天国の青い蝶
太陽のバラの島   水と 幻覚
日輪の上のイコン   原色のブルース
この世で最も美しい姿であり 恐ろしくして
もう 見れないのかも
縮樹の美であり 耽醜の美である
つまり 美しいことの 
神秘

天国の青い蝶
太陽のバラの島   水と 幻覚
日輪の上のイコン   原色のブルース
この世で最も美しい姿であり 恐ろしくして
もう 見れないのかも
縮樹の美であり 耽醜の美である
つまり 美しいことの 
神秘


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小山哲生 Tetsuo Koyama / プロフィール

長野県に生まれる

60
年代アートのなかにビタミンを発見、自分の表現行為を「ビタミン・アート」と名付ける。儀式、ハプニングを通して、テレビ、雑誌にビタミン・アートを紹介する。新宿、銀座の街頭でデーティング・ショー「太陽曼荼羅」シリーズで個展。銀座東芝ホールで牛と蛇と人の共演でビタミン・アートリサイタルを開く。

70
年代インド放浪。「花とビートルズとお釈迦様」のテーマで個展。人形の制作を始める。「人・人・人形」のテーマで個展。

80
年代インド放浪。風景画を描き始める。ブロードウェイ新人賞でグランプリを取る。個展「神話深層の飛行」にて銀座 ギャラリーラランヌの壁面を白い夢でいっぱいにする。

90
年代銀座 三真堂ギャラリーで立体拡大のオブジェを発表。公募展にて東京都知事賞、内閣総理大臣賞受賞。

2005
年 渋谷マリアの心臓「この世でいちばん真っ赤なりんご」のタイトルで個展。

2006
年 人人展(東京都美術館)小さな人人展(羽黒洞木村東介)地獄太夫展(マリアの心臓/人形屋佐吉)幽霊展(マリアの心臓/人形屋佐吉)

2007
年 少女恋の美学(マリアの心臓/人形屋佐吉)人人展(東京都美術館)受胎告知展(マリアの心臓/人形屋佐吉)

2008
年 囚われし少女の嘆き・展(マリアの心臓/人形屋佐吉)銀座 ヴァニラ画廊「耽醜の美」のタイトルで個展。IFAA(国際幻想芸術協会)「幻想芸術展」京都(同時代ギャラリー)東京(世田谷美術館区民ギャラリー)幻獣展(ロイヤルサロンギンザ)白昼の大見世物展サディスティックサーカス・見世物アートの現在(ヴァニラ画廊)

2009
IFAA(国際幻想芸術協会)「幻想芸術展」東京(ギャラリーやさしい予感)幻獣展(ロイヤルサロンギンザ)IFAAミニチュアール展(ギャラリーベルンアート 大阪)ヴァニラコレクション(ヴァニラ画廊)この指とまれvol.2 ~地球と子ども達の愛ある未来に~(NHKみんなの広場ふれあいホールギャラリー)

2010
年 人人展(東京都美術館)小さな人人展(羽黒洞木村東介)ベラドンナ展(神楽坂DIE PRATZEIFAA(国際幻想芸術協会)「幻想芸術展」東京(ギャラリー やさしい予感)

2010年) 91日 進行性胃癌により、
さいたま市内の病院にて逝去 享年 67

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 皆様のお越しをお待ちしております。 

 

 

ヴァニラ画廊は現在開催中のヴァニラコレクション展の会期中に創立7周年を迎えました。

ヴァニラ画廊は現在開催中のヴァニラコレクション展の会期中に創立7周年を迎えました。 

新たな想いを胸に、全てのフェティッシュを愛する皆様へ、今後も独自の美的世界を発信して参ります! 

次回展示は、新たな一歩に相応しい天野大吉氏による作品展をお届け致します。  

  

■天野大吉展

 Human Nature

   http://www.vanilla-gallery.com/gallery/amano/amano.html 

  

■11月15日(月)~11月27日(土

※入場無料 

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 "Daikichi Amano's art is a combination of Jean.Cocteau and Jacques Cousteau"

~マリリン・マンソン~

 

 

 天野大吉は、"現代の葛飾北斎"と呼ばれている。

日本で活動しているアーティストの中で、最も重要なビジュアルアーティストであり、彼の作品は日本国外からも注目されている。最近では、欧州、アメリカ、ラテンアメリカそしてオーストラリアなど世界各国で、国際的なカルトファンを獲得している。

驚きなのは、天野作品はこんなに生々しく不気味であるにも関わらず、その美しさはファンを魅了してやまない。
そしてマリリン・マンソン、ギャスパー・ノエ監督など、天野の作品は世界の著名アーチスト達の目にも触れ、絶賛されている。

天野大吉の写真群は彼の中に存在する、秘められた幻想の世界を描いている。それはアニミズム的、獣性的、そして自然の中で生じる帰先遺伝的(アタビズム)なものに由来するファンタジーであり、それが人間としての本能的な恐怖と欲望を呼び起こす
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作品には世界にとって人間の体とは、その類い稀な美しさが讃えられる崇拝の対象であると共に、その肉体は自然界と融合し、奇形化したものである。木、血、骨、鱗そして羽と融合した肉体は‘エロ・グロ’へと変化し、そして最高に強烈なブラックユーモアが、このとてつもなく恐ろしいジオラマの中にくっきりと織り込まれている。

天野の映像の源流は日本文化の伝統的なアイコノグラフィーと神話にある。彼は一枚の写真の中で、女の子を伝説の生き物に化えてしまう。

天野の作品は、禁じられたものを見たいという、圧倒的な好奇心と欲望の中で、その閉ざされた扉の向こう側にあるものをさらけ出すだけでなく、皮膚の下に潜んでいる何かを私達に見せようとしている。そうすることで人間、自然そして性の間に存在する、妖気漂う恐怖に満ちた関係の深層に存在する何かを、私達に告げようとしているのである。