美濃村晃 Minomura Kou

1920年(大正9年2月)京都市生まれ。
画家としての筆名は「喜多玲子」であるが、縄師「美濃村晃」の名前も多く使用した。
太平洋戦争後、大阪の新聞社に就職するも、『奇譚クラブ』の編集に関わり、日本初のSM専門誌にと成長させていく。喜多玲子の名前で「責め絵」を描き、その質の高い構成力と無駄のない筆致で、淫靡な情念を見事に描きあげ多くの愛好家の共感を獲得する。他にもさまざまなジャンルの同誌の読物にイラストを、それぞれ別の筆名で巧妙に描き分けた。その頃に大阪府警主催の「防犯博覧会」を訪れた伊藤晴雨と、飛田の遊郭で偶然に出会い、後に外弟子となる。

 やがて東京に移り1953年『風俗草紙』に作品を発表、56年には自ら編集人として『裏窓』を創刊する。のちに東京三世社系の『SMセレクト』をメインとする各誌、サン出版系の『SMコレクター』『アブハンター』『SM奇譚』などに挿画家として活躍し、さらに多くのペンネームを使い、作家としても小説、読物を書いた。

 50代に脳溢血で倒れてからは一線からは退き、1992年(平成4年)、72歳の天寿を全うする。

2010美濃村晃(喜多玲子)生誕90周年記念展示「昭和異端風俗絵模様」
CONDENSED VANILLA
2011団鬼六・追悼絵画展 「Dan Oniroku」
2012責め繪浪漫展
美濃村晃