'17/3/20 〜 4/1椋陽児展「春琴抄」

新画廊 展示室 A / 入場料500円(展示室A&B共通)※会期中無休
椋陽児展「春琴抄」

椋陽児展「春琴抄」

展示室A 2017年3月20日(月)〜4月1日(土)(会期中無休)
平日(月~金)12:00~19:00、土・日・祝・最終日:12:00~17:00

ヴァニラ画廊では、1960年代から90年代にかけて斯界を精力的に活躍した、椋陽児の展覧会を開催いたします。
類まれなる画力で描く被虐美は、緻密な鉛筆の濃淡の表現により独特の艶と湿り気を持ち、多くの人々を魅了しました。
今展示では、未発表作品も含めて、50点以上の貴重な作品を展示販売、併せて劇画作品も共に閲覧できるよう展示をいたします。
美しく精緻なその作品を、是非この機会にご賞玩下さい。

◆椋 陽児プロフィール(むく ようじ、1928年11月18日- 2001年7月31日)

椋陽児展「春琴抄」

幼少時に紙芝居や、姉の「少女クラブ」や「少女の友」、青年期には奇譚クラブなどのカストリ雑誌の響を受け、30代半ばで風俗雑誌「裏窓」の編集者兼作家に転身。
小説でのペンネーム「豊中夢夫」をはじめ、複数の名義で作品を発表していたが、40歳で、椋陽児として独立、SM専門誌や漫画誌で、劇画、挿絵、鉛筆画を発表し続けた。

椋陽児略歴

1928年 11月18日、大阪府堺市に生まれる。
1943年頃 戦中の学徒勤労動員で大阪金属工業(ダイキン工業)や南海電鉄などに従事。
1945年頃 戦後、南海電鉄の変電所に技師として勤務。
1953年頃 大日本文具(ぺんてる)へ転職。学校への画材販促のモデル写生会開催時に
自ら待ち時間を利用してクロッキーに参加。
1956年頃 日本通信美術学園の、さし絵科に学ぶ。
1962年頃 大日本文具を退職後、雑誌投稿を始める。
1963年頃 投稿した小説や挿絵が久保書店(あまとりあ社)の「裏窓」編集の美濃村晃(須磨利之)、濡木恥夢夫(飯田豊一)に認められ上京、久保書店に「裏窓」の編集者、執筆者として入社。
1968年頃 椋陽児として独立後、小説、挿絵以外に「実話雑誌」、「土曜漫画」、「漫画天国」、「漫画エース」、「劇画悦楽号」、「漫画ジャンボ」等で劇画の執筆を開始。「ムク・アトリエ」から写真集を発行。
1970年代 サン出版、新星社、東京三世社、土曜出版社、日本文華社、ミリオン出版、三和出版、芳文社などの雑誌に作品掲載。サン出版、松文館から劇画単行本を発行。
1980年代 画集発行のための鉛筆画執筆を開始。「SMコレクター」別冊の画集が発行される。
1990年代 「SM秘小説」、「SMマニア」での挿絵、鉛筆画執筆が主となる。アートビデオから原作のビデオ化作品、「若妻奴隷市」をはじめ、同社作品のパッケージを手掛ける。
2000年 青林工藝社やソフトマジック(マガジンファイブ)、まんだらけ、から新作と旧作を最収録した単行本、画集を発行。
2001年 7月31日 没。没後も、マガジンファイブ、マイウェイ出版、大洋図書から単行本、画集が発行される。
2006年 トレジャーワークスよりガシャポン用のフィギュア、「えろポン」が発売。

Yoji Muku Exhibition “Shunkinsho”

Vanilla Gallery is proud to hold an exhibition of works by Yoji Muku who worked vigorously in the field of Kinbaku from the 1960s to the 1990s.
The masochistic beauty drawn by his exceptional skills, based on the shading expression with extreme precision using pencils, has a unique sultry and moist feel that attracts many people.
This exhibition features over 50 of his valuable works, including those never before published, as well as Gekiga (hard-boiled style of Manga) works.
This collection offers the unique opportunity to appreciate beautiful, exquisite works of Yoji Muku.

Yoji Muku (Nov. 18, 1928 - July 31, 2001)

He was deeply influenced by picture-story shows and his sister’s “Shojo Club” and “Shojo no Tomo” magazines in his childhood and by "kasutori magazines" (cheap porn magazines widely circulated after the war) such as “Kitan Club” in his youth. In his mid-30s, he made a career change to become the editor and writer for an adult entertainment magazine “Uramado”.
He wrote novels under a pseudonym “Yumeo Toyonaka” and published works using several different names. At 40, he left “Uramado” to become an independent artist Yoji Muku, and continued publishing Gekiga, illustrations, and pencil drawings on SM and Manga magazines.